菅江真澄について

 菅江真澄(すがえ ますみ) 宝暦4年(1754)ころ〜文政12年(1829)7月19日
 三河国(愛知県東部)生まれた。故郷及び尾張名古屋で、国学、本草学、歌学などを学ぶ。30歳ころに故郷を離れ、長野、新潟、庄内を経て秋田に入り、津軽、岩手、宮城、北海道南部、下北半島などをめぐり歩いた。48歳の時に津軽を経て再び秋田に入り、文政12年、76歳で亡くなるまでの28年間を秋田の地で過ごした。
 秋田藩の領内をくまなく歩き、今の秋田県内のすべての市町村に足跡をしるしている。『菅江真澄遊覧記』と呼ばれている旅日記を書き残したほか、晩年には秋田藩の支援を得て地誌も著した。彩色した図絵を配し、歴史・地理・民俗・考古・植物など幅広い分野に記述が及んでいる。これらの著作は、江戸時代後期の様子を知る第一級の資料として高く評価されている。
 著作のうち、日記や地誌など77冊12帖が国の重要文化財に、46点が秋田県有形文化財に指定され、原本は『菅江真澄全集』全12巻(未来社)、日記の現代語訳は『菅江真澄遊覧記』全5巻(平凡社)として出版されている。文責 小笹鉄文



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